情報処理安全確保支援士試験に受かった

春に受けた情報処理安全確保支援士試験だが、今回も無事合格していた。

mmvnvn.hateblo.jp

結果はこんな感じ。
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 午前IIは結果がすぐ出るのでまあいいとして、午後Iが結構難しくてボーダーギリギリ超えたくらいかなと思っていたら意外とまあまあ取れていてほっとした。

 

というか午後IIが93点も取れていてびっくりしている。確かに楽だった記憶はあるけれど8割いくかな~くらいの気持ちだったので相当採点が甘かったのだろうか。とはいえ90点以上午後II採点対象の4656人48人しかいないらしく、分布的にまあなんか全国20位くらいに入ってそうな気がして、受験時代に模試のランキングに乗ることだけに命を賭けていたあの頃みたいな承認欲求満たされ感があってなかなか良かった。まあ点数も順位も何の意味もないわけだが・・・。

 

秋はネスペでも受けようかと迷ってはいるものの、ちょっと休憩して他の勉強もしたい気持ちがある。のでまあ申し込み期限ギリギリまで様子見て考えることにする。

 

ちなみにちょっと気恥ずかしいのでいつも合格報告はさらっと終わらせているのだが、ちょこちょこ資格関連の記事はPVがあるようなので、私なりの試験攻略法でも書いておこうと思う。

 

午前I・・・適当に過去問道場3年分回せば受かる

午前II・・・適当に過去問道場3年分回せば受かる

午後I・・・適当に過去問3年分やれば受かる

午後II・・・適当に過去問3年分やれば受かる

 

他の試験の合格者の皆さんもお疲れ様でした。

エンジニアリング

コンプライアンスのことを考えるのが面倒なのでそういうたぐいのことは書かないが、私はとある会社でエンジニアとして働いている。2月に転職してきたのでもう3ヶ月ちょっとになる。

 

この会社は肩書きとして、ソフトウェアを作る人とアルゴリズムを作る人が居て、自分は一応ソフトウェアを作る人として採用された。とはいえ、入社してしばらくはソフトウェアを作っていたような気もするが、最近は全然ソフトウェアを作っていない。人間は肩書きで働く必要は無いので特に気にならないし、むしろ自分の知らなかった世界にたくさん触れることができてとても楽しい。前職では受託開発でWebアプリの開発とかが中心だったため、NLPとか機械学習とかデータ分析とか、そういうのとは遠い場所であったものの、今は常にそういうことばかり考えている気がする。

 

NLP機械学習もデータ分析も全く今までの人生で関わってこなかった分野である。どうしても周りとの技術力の差は感じてしまう。pandasを使う手もおぼつかないしmatplotlibでいい感じの図をちょこっと出すだけでも一苦労な状態だ。pythonはまあまあ書けるようにはなってきたが、ちょっと凝ったことをしようとすると一瞬でウンチコードを書いてしまう。そのウンチコードのせいで周りの人に迷惑を掛けてしまうこともしばしばである。KNPとかMeCabとかを触っているのはそこそこ楽しい。日本語に限らないが、言語学って昔は全然興味が沸かなかったのに、今は無限に興味が沸いていくる。でもプロフェッショナルには程遠い。

 

人に迷惑を掛けている身なのでそんなことも言っていられないのだが、とはいえ今の仕事は何をやっても実務としては初めてみたいな状態なので、すごく楽しいしすごく勉強になっている。強いて言えばくだらないミスを連発してしまったせいで解雇通告されないか心配なくらいだが、ここはシリコンバレーではないせいかまだ解雇には至っていない。今のうちに「こいつに解雇されたら困る」、という状態になっておかないといけない。

 

おそらく今の自分が同僚よりも強いと言える部分っていうのはシステムアーキテクトを取っていてセキュスペも取れてそうということ(ただし同僚の皆さんは面倒だから取らないだけで多分受ければ受かるのだろうが)と、Android関連の知識くらいなもので、私自身、周りから求められない限りそこにスペシャリティを持ちたいとは特に思っていないので辛いところである。私は究極的にはやっぱり日本語のことを考えながらご飯を食べていきたいのだろうと最近ちょっと気づいた。

 

会社でもようやく人見知りが抜けてきて仲良くしている人も増えてきた(とはいえ3ヶ月で打ち解けられるのは私にとっては早いほうで、自分に雰囲気は合っている証拠だと思う)ので、なんとか解雇されないように頑張ってやっていきたいと思う。

 

なんだか久々のどデカイミスで色々と反省したので今日は真面目な記事になってしまった。おわりー。

ひとり×××

昨日、活動休止していたELLEGARDENが10年ぶりの復活ライブをやるとの発表があった。

 

本当にオタクの皆さん方には申し訳ないが、中高時代は陽の者として青春を完全に謳歌していたので、1991年世代の陽の者としてELLEGARDENはもちろん嗜んでいた。ノブレスオブリージュである。心のひねくれた陰のオタクの皆さんは「誰の金が尽きたんだ?」などと煽っているが、彼らは単純に陰のオタクだった負け惜しみなので気にしなくてよい。好きなものは堂々と好きと言ってよいのだ。それが許されないのは好きな女の子に意地悪をしてしまう中学生男子だけでよい。

 

昨日は仕事が終わって友人とご飯を食べる予定があったため、何キロカロリーあるのかわからない美味しいアボカドバーガーを食べ(もちろんアボカドが入っているのでヘルシー)、解散後自宅の最寄り駅でヒトカラに行った。別にそんなつもりはなかったのだが、気づいたら入店しており、これがELLEGARDENの力・・・キラキラした青春の1ページが呼んでいる・・・という気持ちになった。

 

休止宣言からの10年間、たまーに聞くことや歌うことはあるかないかという感じではあったのだが、やはり身体はちゃんと覚えていて、ほとんど画面上の歌詞も見ずに歌うことができた。画面上の歌詞を追いながら歌うとどうしても気持ちが入らないので、皆さんもカラオケでは画面を見ずに歌うのがおすすめである。

 

ヒトカラといえば、一人×××シリーズがどこまでできるか、みたいなのが一時期流行っていた。女性はともかく男性ならラーメンや焼肉のような飲食店は余裕だろうが、私は居酒屋(というか、もっとこじんまりとした飲み屋やおしゃれなバー)に一人で行くことができない。そもそもお酒は嫌いではないがとても弱い。苦手分野だとイキることができないので多分一人居酒屋も苦手なんだと思う。

 

その他は映画もカラオケも行けるしボーリングも行こうと思えば行ける(そもそもボーリングにはあまり行かない)し遊び系はだいたい大丈夫な気もするが、遊園地の類は流石に厳しい。ああいうところはみんなでワイワイ行くから楽しいのであって、一人でいっても虚しいだけだ。でも好きなバンドのライブには一人で行ける。夏フェスには行ったことがないが、多分一人では行けない。

 

そう考えると以前流行っていた「どこまで1人できるか」はあまりにも意味のない問いだということがわかる。ハードルの高さは人によって大きく異なるからだ。

 

昔オタクが極まって今は亡き「アイドルマスターモバイルi」のために1人で全国各地に行っていた時期が3ヶ月くらいあったが、アレは本当に虚しかったのでおすすめしない

 

 

たばこ

私は喫煙者だ。自宅ではアイコスを吸っているし、外では「平和の光」の異名をもつピースライトを吸っている。

 

遵法意識が高いので20歳の誕生日に初めてたばこを吸った。それからもうすぐ7年位経つわけだが、一向にやめられる気配がない。まあやめる気もいまのところは無いので当然ではあるものの、出費はかさむし、においはするし、女性ウケも良くないのでやめたほうがいいのは間違いない。間違いないのだが、多分結婚して奥さんが妊娠するくらいまではやめられないと思う。

 

嫌煙家の皆さんからするとそんなもの要らないと言われるかもしれないが、タバコミュニケーションというやつは確かに存在していて、私はそのおかげで今があるといえる。大学で留年して同期の友人たちが遠い存在になっていたときも、喫煙所に通っていたおかげで後輩と仲良くなれたし、東大の五月祭のときに喫煙所で初めて出会った人とは今でも年に数回ドライブをしたりして遊んでいる。たばこがなくても別のきっかけがあればその人達と仲良くなれたかもしれないが、それは今となってはあまり意味のない話である。

 

就職してからはなおさらそれを強く感じるようになった。今所属している会社はまだまだベンチャーといえなくもない立ち位置にいて、社員も皆若いため喫煙者があまりいないものの、前職は本当に普通の中小SIerだったので上は50代60代のおじさんたちも多かった。長野の支社長も、東京の社長も、みなたばこをすうおじさんたちだったので、私は自然と他の人達よりも彼らと話す機会は多くなったし、そこで色々な話をしてたおかげである種の信頼を勝ち取ってきた自負もある。自分が本社転勤を希望したらすぐにOKを頂くことができたし、退職するときは誰よりも惜しまれた(気がする)。

 

信頼は実力で勝ち取れよ、と言われるかもしれない。私に果たして本当に実力があったのかどうかは今回の論点ではないので置いておくとして、(特に日本)社会というのは実力だけでは勝ち上がれないのも事実である。私は大学をやめた段階で絶対にこのまま腐りたくないという気持ちがあったので、実力でも周りを圧倒して、人間関係でも絶対に失敗しないようにして、どんどん次のステージに進んでいくぞという心でいたこともあり、結果として今はそれなりに満足して暮らしている。(もちろん今のまま終わってしまうつもりもないが)

 

理解されたいという気持ちがあるわけではない。ただ、否定される筋合いもないなという気持ちはある。現に私もお酒は嫌いではないが強くはないので、「飲みニケーション」とかいう概念にはほんの僅かの信仰心すら抱いていない。でも他人がお酒を飲むことでしか築けないであろう人間関係があることは理解していて、そうしたい人はどうぞご自由にという心構えでいる。私は身勝手な人間なので、自分の苦手な分野で戦うつもりは全くない。

 

と、まあここまでは割と抽象的な話をしてきたが、実はたばこが好きな理由がもう1つある。他人がたばこを吸っている姿が好きなのだ。勘違いしないでほしいのだが、ちょっとグレてしまった中学生が大人ぶってたばこをかっこいいものと思い込むあの感性とはまた別のものである。

 

www.youtube.com

 

このPVの2:12秒あたりでボーカルがたばこをふかしている画があるのだが、このアンニュイさというか、そういうのにすごく惹かれるものがあるのだ。えっ、「ちょっとグレてしまった中学生が大人ぶってたばこをかっこいいものと思い込むあの感性」と大して変わらないって?私は「ちょっとグレてしまった中学生時代」を過ごしたことがないのでよくわからない。ちなみに、いかにも柄の悪そうな人たちがたばこを吸っている姿にはこれっぽちも惹かれない。

 

女性の場合もおそらく同じで、いかにも股がゆるいですと顔に書いてあるような人たちがたばこをふかしているのを見てもおそらく何という感情は湧いてこないのだが、清楚系の女性がたばこをふかしているのを見るとキュンとしてしまう。結局ギャップ萌えというやつの範疇に入るのかもしれない。清楚系の女性の方が実はビッチで・・・みたいな話は今はしていない。人間は95%が見た目なので清楚系の女性がたばこを吸っている画さえあればそれ以外のメタ情報は割とどうでも良い。

 

しかし清楚系の女性がたばこを吸っている姿を二次画以外で見たことがないので、現実には存在しないのかもしれないが、我こそはという方はぜひ挙手をしていただければと思う。

インターネット

私のインターネット遍歴の話。

 

私がインターネットに出会ったのは小学とかのはずだが、自発的にインターネットにのめり込んでいったのは多分中学生のころからだった。

 

長野市フルネットセンターという市民向けの情報化推進施設があり、そこには20台くらいのPCが設置されていて、登録をすれば自由に使うことができた(厳密には30分間までという決まりはあったものの、満席でなければずっと使い続けることができた)。私の実家にはインターネットはおろかPCすらなかったが、そこに行けばPCを触ってインターネットができるということで、片道1時間をかけて土日はそこに通いつめ、朝から晩までインターネットをしていた。

 

そんなに通いつめて何をしていたのかというと、ホームページの運営とブログの更新である。ホームページにはいわゆる同人小説的なものを投稿していた。厳しい。ブログについては同じ学校の同級生でブログをやっている人たちの投稿をチェックしてコメントを残しつつ自分のブログも更新するというスタイルで、mixiに近いような気持ちで楽しんでいた記憶がある。本当に厳しい。

 

今検索してみたらいまだにどちらもgoogleクローラーはきちんと捕捉しており、ちゃんと検索結果に出てくる。厳しすぎる。消そうにも当時のメールアドレスが残っていないうえIDもPWも覚えておらず手の打ちようがない。DCMA申請で「本当に厳しいのでお願いします」といえばなんとかなるだろうか。多分ならないだろう。こうやって消去不能黒歴史を作るのが怖いため、最近はブログを辞めるときにはちゃんとアカウントごと消去する癖がついた。

 

上記で述べたフルネットセンターだが、どうやら2016年度末で「役割を終えた」とのことで閉鎖になったらしい。果たして長野がインターネット未開の地を脱したのかはよくわからないが、まあそういうものなのだろう。

 

高校に入ってからも数ヶ月は続けていたようだが、ある時を境に更新が止まっている。おそらくその時期に、当時流行っていた「携帯サイト」の運営をスタートしたのだろう。我々世代なら誰でも知っている(はずの)MobileSpace、通称モバスペで、仲の良い友人や部活などの単位でホームページをつくるのだ。コンテンツとしてはプロフィールを書き、ブログを更新し、写真を共有するのが主なものである。こちらも本当に厳しいが、どうやら一定期間アクセスがないとサイトごと自動削除される仕様のようで、ちゃんとインターネットから消えていた。本当に良かった。

 

実はこの携帯サイトにはちょっと思い入れがある。最近ではトンと効かなくなったインターネット古典として「キリ番」という概念があるのだが、高校の同期の女バス部員で構成されたサイトのキリ番をうっかり踏んでしまったことがある。もともと女バスの部員なんてほとんど喋ったこともなく、名前も顔も知らない人も中にはいた。もちろん誰がキリ番を踏んだのかなんて運営者にはわかるわけもないので(せいぜいとれてもUAくらい)そのままスルーしてもよかったのだが、なにやらキリ番を踏んだ人間にはプレゼントがあるとのことで、欲に目がくらんでキリ番を報告する書き込みをしてしまった。

 

翌朝学校に来ると机の上にバナナが置いてあった。なるほど確かにその女バスの携帯サイトのタイトルにはバナナの文字が含まれている。本当に惨めで悔しくて、猿になった気持ちでバナナはおいしく頂いた。(その後私の机の上にバナナを置いた人に突然呼び出され、なぜかメールアドレスを交換することになり、気づいたら付き合うことになり、完全に舞い上がってたらその1週間後にこっぴどく振られたという想い出があるが、それは悲しい過去なのでこれ以上は控えさせていただく)

 

その後、文化祭の実行委員長になったため事務作業でPCを使う機会が多くなった。それまでの人生では基本的に遊びのためにしか使ってこなかったが、ここで初めてExcelやWordというものに触れることになり、まあまあ楽しくキーボードを叩いていた。

 

高3のときに日本初のAndroid端末であるHT-03Aとかいうガラクタをヤフオクで入手し、1年の浪人期間中くらいはずっとそいつでツイッターをしていた。HT-03Aは私に衝撃を与えたガラクタであり、それまでのガラケー体験を完全に覆すインパクトがあった。私のAndroid好きはそこに端を発しているのだと思う。384MHzしかないCPUクロックを528MHzまでオーバークロックしたり、192MBしかないRAMのせいでバックグラウンドタスクがすぐ死ぬのをなんとかするためにSDカードにswapを用意したりしていた。そうまでしても、何度着信画面でフリーズして電話に出れなかったことがあったか数えきれないし、一瞬で終わる電池のせいで、終電の電車で寝過ごしたときに家族に助けを求めることすらできず線路の上を3時間歩いて帰ったりもしたが、やはりあの時期が一番スマートフォンを楽しんでいた気がする。

 

大学に入り一人ぐらし(実際には全寮制だったので学生寮だが)を始めてからまず最初に買ったのがBTOのゲーミングPCで、それからのPCとの向き合い方は基本的にゲームとツイッターとなった。

 

中高生時代にほんのりかじったHTMLとCSSjavascriptに意味をもたせたくなることがたまにあって、たまに静的なWebサイトを作ってはすぐ消すみたいなこともしていた。一番長く持ったのはパスドラの所有キャラリストを作成してツイッターに投稿するサービスで、確かgithub.ioで公開していたのでサーバーサイド処理は一切できず、リストから公開用URL生成時はurlのクエリにひたすら所有しているキャラクターのIDを書き込み、逆にURLからリストを表示する際には一個一個forループで回して解析するみたいなことをしていた。生jsにほんの少しだけ詳しくなったが、基本的にはいろんなサイトのコピペで書いたコードなので、スキルとして挙げられるようなレベルではなかった。

 

その後大学を中退してからは、ご存知の通りである。エンジニアとしてプログラムを書き、設計をし、たまに資格をとり、そうしたらどんどん楽しくなって今に至る。

ふるさと納税

前職は本当に給料が低く、ふるさとに納税する余裕なんてこれっぽっちもなかったので全く考えたことはなかった。現職でも有り余るほどの給料をもらっているわけではないしもらえるものであれば無限にもっと欲しいが、少なくとも今の自分の実力に対する適切な額はもらえているわけで、ちょっとは生活に余裕もでてきたので考えてみようかなと思いつつある。

 

で、会社の人に「楽○とかで調べれば出てくるし、そこの案内に沿って進めれば誰でもできますよ」などと言われたので実際にちょっと見てみたものの、なんかあんまり要らないのではという気持ちが出てきたので結局やっていない。

 

確かに高級肉のステーキや季節のフルーツが自己負担2000円で食べられるのは魅力的だが、そもそも2000円出して高級肉を食べたいという気持ちがあまりない。もっと言えば差額が返ってくるのは確定申告後で、今この場では1万円単位で支払わなければならない。結局1万円の初期投資をするのであれば仮想通貨でもやっていたほうが幸せな気がする。

 

そういえばこれはこの前ちょっと言ったことがあるが、行動aと時間tに依存する幸福度関数f(a, t)というものがすべての人間には存在していて、この積分値S = ∫f(a, t)dtがその人生の幸福度を表すものだとするときに、Sを最大にするような行動aとtに関する積分区間を決定するのが人生における最良選択なのではないかと最近考えている。

 

この考え方だと細く長くも太く短くもどちらもSは同じくらいになるので、どっちがいいわけでもない。ただしある地点でfを正の無限大に発散させてしまえばこっちのもので、あとはその発散速度を上回る速度で負の無限大に発散させないようにすることだけ考えるか、負の無限大に発散する前までを積分区間とする(=死ぬ)ことで人生の幸福度は無限大になる。

 

覚せい剤とか麻薬とかって多分それに近くて、結果的に身体依存・精神依存で負の無限大に発散しうるんだけどその前に正の無限大に発散しているので、依存がキツくなるまえに死んでしまえば結局その人の人生はとても幸せだったということでハッピーエンドなのではという気持ちがある。もちろん私はそのたぐいに手を出したことはない。

 

今回のケースで行くと、仮に1万円の初期投資をして5000円相当の返礼品をもらうとして、出資段階ではむしろマイナスなのでfは負の値になる。確定申告後は8000円が返ってきて結局お得だったねという話になるのでfは正の値になる。あとはそのあいだの積分値Sが正になっていればいいのだが、その自信がないのだ。なんなら正の値になる前に積分区間が終了してしまう可能性もある。そうなったらあの世で一生ふるさと納税を恨むことになる。

 

本当にアホな理論である。この理論が正しいとなると「リスクを負って挑戦する」という概念がそっくりそのまま無に帰してしまう。しかしアホな理論だとわかってはいても、財布の中の数少ない諭吉さんには未練がある。まあ経験だと思って一度くらいやってみようかな。うっかり間違えて大量の肉なり野菜なりが届いてしまった場合はご協力のほどよろしくお願いいたします。

ハーディワインベルグの法則のはなし

ハーディ・ワインベルグの法則というやつがある。高校生物でも出てくるので知っている人も多いはずだ。いろんな条件を満たす生物集団があったとすると、その集団全体としては遺伝子の存在割合(遺伝子頻度)は何年経っても変わらないというやつである。これをハーディワインベルグ平衡にあるとかいう。いろんな条件というのは、外界と隔離されているとか、突然変異が起きないとか、自然選択が働かない(着目する遺伝子の表現型が生存に対し有利でも不利でもない)とか、いくつかあるがまあそれはwikipediaでも見ていただければわかると思うので割愛する。

 

これを高校で習うときは「遺伝子分布が一定に保たれる」ことを重視する。「こういう条件下だと遺伝子分布が変わらんのやぞ、すごいやろ」みたいな感じである。すごいけど制約条件考えればまあ普通に当たり前だし、仮に遺伝子分布が一定に保たれたとして何が嬉しいのかもよくわからない。

 

実際に研究の場でも遺伝子分布が一定に保たれることに嬉しさを感じる場面は少ない。まったくない、と言わないのはたとえば本当に一定に保たれている環境や集団を発見した場合、その集団は生物の祖先を知る上で重要な材料となりうるからである。たとえばガラパゴス諸島なんかは不完全ながらある程度ハーディワインベルグの法則の制約条件を満たしているので、生物関係の研究者からは人気があった(最近はもはやそうでもないと思うが)。

 

ではそんなに嬉しさがない法則がなぜいまだにカリキュラムに組み込まれているのかというと、むしろ「遺伝子分布が一定に保たれていない原因」を探ることに意味があるからだ。帰無仮説の棄却というやつである。

 

「諸々の制約条件をすべて満たしている」ならば「その集団内の遺伝子分布は世代を経ても一定である」という命題が真であるとき、その対偶である「ある集団内の遺伝子分布が世代を経て一定となっていない」ならば「諸々の制約条件のうちの少なくとも1つを満たしていない」もまた真となるはずである。なので、遺伝子分布が一定に保たれていない集団を見つけたら、ハーディワインベルグの法則の制約条件のいずれかを満たしていないはずなのである。

 

たとえばもし集団外の個体との交雑があったのであれば、(仮に地理的にそれが難しいはずと考えられる場合は)何らかの手段で外界と交流する術を昔から身につけていたことがわかる。たんぽぽの綿毛のように風に乗って遠くへ飛ばせるとか、ハチみたいな媒介生物にでもくっつけて遠くへ持っていってもらえるとか。

 

あるいは生存に有利な遺伝子だったことが分かれば医療に応用できる可能性も出てくる。ハーディワインベルグからはちょっと外れるが、予想外な展開で生存に有利な遺伝子であることが発見された有名な例として、鎌状赤血球貧血がある。鎌状赤血球貧血は遺伝性疾患で、赤血球が正常に作れず鎌みたいな形になってしまうことで酸素との結合能が低下し、貧血症状を起こす病気である。

 

普通に考えれば生存には不利な性質であり、正常な赤血球を持つ個体にいずれ淘汰されるはずである。しかし赤道近辺ではなぜかいまでもこの病気の多く見られる。なぜだろうとよくよく調べていくと、鎌状になった赤血球にはマラリアが寄生できないため、正常な赤血球を持つ人のほうがマラリアの感染リスクが高く、鎌状赤血球貧血よりもマラリア感染のほうが致死性が高いので、結局その地域においては鎌状赤血球貧血のほうが生存に有利だった、みたいな話である。こんな感じで、今まで可視化されていなかったが実は生存に有利な(あるいは不利な)遺伝子を、ハーディワインベルグを使って発見することができた場合、それを用いて医療につなげていくことができるかもしれないのである。

 

単にメンデル遺伝に従わない(伴性遺伝をするとか、複対立遺伝子だとか)ような形質であればミクロな観察だけで原因を解明できてしまうのだが、上に挙げたような例は何世代かを追ってみないと全体像がつかめない。そういうマクロな観察が必要な場面でハーディワインベルグが効いてくることがある。

 

無論、そもそもハーディワインベルグの法則の制約条件はあまりにも厳しく、人為的に作られた環境下でもない限りすべてを完全に満たす集団というのは、おそらく地球上にはもう存在していないと考えられる。なのでもっとマクロな視点でふわっと、対照となる集団との比較を行う必要がある。これがハーディワインベルグ平衡検定とか呼ばれるやつであるが、要はカイ二乗検定である。(母集団の大きさによっては別の検定を使ったりもするが)

 

と、なぜいきなりハーディワインベルグの法則についてブログを書いたのかというと、既存の知識や手法ってそれ自体が目的であったりすることが多いのだけど、研究の場においてはむしろそれらを否定することが仕事だったりするわけで、それはまあ研究やってる人からすれば当たり前も当たり前なことではあるけれど、自分のように大学で研究をバリバリやってたわけではない人間からするとついつい忘れがちになってしまうことなので、ここらでちゃんともう一度思い出せよと自分に言い聞かせたかったからである。こういうところで、大卒院卒のみなさんと差がついてしまうのは勿体無い。

 

というわけで今日も集団遺伝学とは全く関係のないコンピュータ・サイエンスのお勉強をしていこうと思う。