私の父親は若い頃、いろいろな外車をちょこちょこ乗り換えていた。いったいどこにそんなお金があったのかと疑問に思うが、多分お金はなくてローンで払っていたんだろう。私も当時は小さかったので詳しいことはよく知らない。

 

私は子供ながらに車に対して人格を投影していたようで、父親が車を乗り換えるタイミングで毎回その車にお別れを言うのが辛く、泣いていた記憶がある。

 

私の両親は6歳のときに離婚しており、その後しばらくは母親に引き取られていたためそれよりも前であることは確かなのだが、あんまり詳しい時期は覚えていない。小学校時代は母親もほとんど家には帰って来ず、妹と二人で生きるのに必死だったため、そもそも論としてあまり細かい記憶が残っていない。

 

時は流れて2011年、私は晴れて大学生となった。私の通っていた大学はとても田舎で車がないと最低限の生活しかできないところだった。入学してすぐに新入生一同で自転車を買いに行ったのだが、自転車を使っても行けるところはスーパーとTSUTAYAと100均くらいなもので、健康な最低限度の生活を営むことはできても文化的な最低限度の生活を営むのはちょっと難しかった。

 

その年の6月頃に、大学から40万円が支給された。厳密には支給ではなく貸与なのだが、まあ細かいことはいいでしょう。それで車を買った。コミコミで20万円の中古のヴィッツ。後部座席にはドアがない1999年初期型モデル。冴えない会社の営業車のような外見はお世辞にもかっこいいとは言えなかったし、すでに10万キロ近く走っていた御老体なのでところどころに傷もついていた。医学部だったこともあり周りの学生はみんな高級車に乗っていた。でも私はこれでいいのだ。私は私のお金で、自分の力で、買った車を大切に乗っていくのだ。

 

私はこの車で色々なところに行った。秋の試験が終わると同時に大学を抜け出し、福島に温泉に入りに行った。GWには富士の樹海を散策しに行ったりもした。

 

意外とそれくらいしか思い出せない。色んな所に行ったというのは訂正する。しめて2箇所くらいに行った。

 

乗り始めてから半年くらいで駆動系のなんとかというパーツが壊れた。治すには10万円近くかかると言われ、やむなく廃車にすることにした。でも別に悲しい気持ちは特になかった。昔の父親はこんな感じの気持ちだったのだろうか。

 

そうは言っても車がないと文化的な最低限度の生活が営めないので、ちょうど祖母が車を乗り換えたということもあり、そのお古をいただくこととなった。ホンダのS-MXという車だった。私はそもそも車自体にはそこまで興味がなく、その名前も初めて聞いたが、ネットで調べる限り「走るラブホテル」とか「移動式公衆便所」とか散々な言われようだった。気になる人は調べてみてほしい。例に漏れず祖母の車もフルエアロ仕様で完全に田舎ヤンキー御用達のDQNカーという感じだった。

 

私はその車で色々なところに行った。これは本当に色々なところである。本州の北から南まで、東から西まで、大体のところには行った。あいにくインターネットにかかれていた「走るラブホテル」としての用途を全うすることはただの一度もなかったが、座席を倒すとフルフラットになり、車中泊がとてもしやすかったので学生の貧乏旅にはぴったりだった。

 

諸事情あって大学4年目の冬くらいにこの車も手放すこととなったが、やはり涙も出なければ寂しくもなかった。大人になるってそういうことなのかもしれない。

 

今は東京に暮らしており、コスト的な面でも利便性的な面でも必要性が薄いため車は持っていない。公共交通機関に乗るのが嫌いなのでできれば車はほしいのだが、なかなかそういうわけにもいかないのでしばらくお預けである。カーシェアで車を借りて、たまに友人たちと旅をする生活が続きそうだ。

 

あと何年、私達は行き先も考えずに気の向くままに日本中を旅するようなアホができるんだろうかと考えると少し寂しくなる。やはりまだまだ大人にはなれそうにない。