ハーディワインベルグの法則のはなし

ハーディ・ワインベルグの法則というやつがある。高校生物でも出てくるので知っている人も多いはずだ。いろんな条件を満たす生物集団があったとすると、その集団全体としては遺伝子の存在割合(遺伝子頻度)は何年経っても変わらないというやつである。これをハーディワインベルグ平衡にあるとかいう。いろんな条件というのは、外界と隔離されているとか、突然変異が起きないとか、自然選択が働かない(着目する遺伝子の表現型が生存に対し有利でも不利でもない)とか、いくつかあるがまあそれはwikipediaでも見ていただければわかると思うので割愛する。

 

これを高校で習うときは「遺伝子分布が一定に保たれる」ことを重視する。「こういう条件下だと遺伝子分布が変わらんのやぞ、すごいやろ」みたいな感じである。すごいけど制約条件考えればまあ普通に当たり前だし、仮に遺伝子分布が一定に保たれたとして何が嬉しいのかもよくわからない。

 

実際に研究の場でも遺伝子分布が一定に保たれることに嬉しさを感じる場面は少ない。まったくない、と言わないのはたとえば本当に一定に保たれている環境や集団を発見した場合、その集団は生物の祖先を知る上で重要な材料となりうるからである。たとえばガラパゴス諸島なんかは不完全ながらある程度ハーディワインベルグの法則の制約条件を満たしているので、生物関係の研究者からは人気があった(最近はもはやそうでもないと思うが)。

 

ではそんなに嬉しさがない法則がなぜいまだにカリキュラムに組み込まれているのかというと、むしろ「遺伝子分布が一定に保たれていない原因」を探ることに意味があるからだ。帰無仮説の棄却というやつである。

 

「諸々の制約条件をすべて満たしている」ならば「その集団内の遺伝子分布は世代を経ても一定である」という命題が真であるとき、その対偶である「ある集団内の遺伝子分布が世代を経て一定となっていない」ならば「諸々の制約条件のうちの少なくとも1つを満たしていない」もまた真となるはずである。なので、遺伝子分布が一定に保たれていない集団を見つけたら、ハーディワインベルグの法則の制約条件のいずれかを満たしていないはずなのである。

 

たとえばもし集団外の個体との交雑があったのであれば、(仮に地理的にそれが難しいはずと考えられる場合は)何らかの手段で外界と交流する術を昔から身につけていたことがわかる。たんぽぽの綿毛のように風に乗って遠くへ飛ばせるとか、ハチみたいな媒介生物にでもくっつけて遠くへ持っていってもらえるとか。

 

あるいは生存に有利な遺伝子だったことが分かれば医療に応用できる可能性も出てくる。ハーディワインベルグからはちょっと外れるが、予想外な展開で生存に有利な遺伝子であることが発見された有名な例として、鎌状赤血球貧血がある。鎌状赤血球貧血は遺伝性疾患で、赤血球が正常に作れず鎌みたいな形になってしまうことで酸素との結合能が低下し、貧血症状を起こす病気である。

 

普通に考えれば生存には不利な性質であり、正常な赤血球を持つ個体にいずれ淘汰されるはずである。しかし赤道近辺ではなぜかいまでもこの病気の多く見られる。なぜだろうとよくよく調べていくと、鎌状になった赤血球にはマラリアが寄生できないため、正常な赤血球を持つ人のほうがマラリアの感染リスクが高く、鎌状赤血球貧血よりもマラリア感染のほうが致死性が高いので、結局その地域においては鎌状赤血球貧血のほうが生存に有利だった、みたいな話である。こんな感じで、今まで可視化されていなかったが実は生存に有利な(あるいは不利な)遺伝子を、ハーディワインベルグを使って発見することができた場合、それを用いて医療につなげていくことができるかもしれないのである。

 

単にメンデル遺伝に従わない(伴性遺伝をするとか、複対立遺伝子だとか)ような形質であればミクロな観察だけで原因を解明できてしまうのだが、上に挙げたような例は何世代かを追ってみないと全体像がつかめない。そういうマクロな観察が必要な場面でハーディワインベルグが効いてくることがある。

 

無論、そもそもハーディワインベルグの法則の制約条件はあまりにも厳しく、人為的に作られた環境下でもない限りすべてを完全に満たす集団というのは、おそらく地球上にはもう存在していないと考えられる。なのでもっとマクロな視点でふわっと、対照となる集団との比較を行う必要がある。これがハーディワインベルグ平衡検定とか呼ばれるやつであるが、要はカイ二乗検定である。(母集団の大きさによっては別の検定を使ったりもするが)

 

と、なぜいきなりハーディワインベルグの法則についてブログを書いたのかというと、既存の知識や手法ってそれ自体が目的であったりすることが多いのだけど、研究の場においてはむしろそれらを否定することが仕事だったりするわけで、それはまあ研究やってる人からすれば当たり前も当たり前なことではあるけれど、自分のように大学で研究をバリバリやってたわけではない人間からするとついつい忘れがちになってしまうことなので、ここらでちゃんともう一度思い出せよと自分に言い聞かせたかったからである。こういうところで、大卒院卒のみなさんと差がついてしまうのは勿体無い。

 

というわけで今日も集団遺伝学とは全く関係のないコンピュータ・サイエンスのお勉強をしていこうと思う。